過度の一般化は身を滅ぼすぞ

ほぼ全記事において勇者であるシリーズのネタバレを含みます

結城友奈は勇者である 「終わる前の日常」のよさ

 

結城友奈は勇者である 鷲尾須美の章」、4話が放送された。

個人的な感想を述べると、最高だった。

Aパートでは3話と同じような日常を描きながら着々とフラグを建築していき、Bパートで一気に盛り上げ、落とす。バーテックス達の殺意に満ちた動き、銀の、1期の夏凜を彷彿とさせるような大立ち回り、花弁と血飛沫で赤く染まる画面。完全に予想を超えてきた。

原作も読むには読んだのだが、なんというか文体が全く自分に合わず、あまり楽しめなかった。アニメ化は英断であったという他ない。そしてこんな内容を3話のアレとセットで映画にしたことは狂気の沙汰であったという他ない。映画勢はどんな表情で映画館を後にしたのだろうか。

 

そして思った。「この3人の日常は、銀の死によって価値を増したのだ。」

 

は?とお思いになっても仕方ない。どうか最後まで読んでいただきたい。

 

 

 ご存じの通り、勇者であるシリーズは「わすゆ」「ゆゆゆ」から始まった。そして認知度が高かったのは「ゆゆゆ」の方だった。そういうわけで「ゆゆゆ」はこのシリーズの代名詞のようになっている。公式でも割とそういう扱いを受けている。

そのため「ゆゆゆ」の特徴(と放送当時は言われていたもの)である真綿で首を締めるような展開や、怒涛の伏線回収、そして何より多少強引でもハッピーエンドに持っていくパワー(と百合)、そういったものを楽しむのが「ゆゆゆ」とその関連作品への基本的態度である……そう私は思っていた。でもそうではなかったのだ。

「ゆゆゆ」以外、ハッピーエンドが存在しないのである。「わすゆ」は言わずもがなだし、「のわゆ」をハッピーエンドと言い切ってしまったら多方面の人に殴られそうだ。ただし300年近くも人類を存続させられたのだし、一概にバッドエンドとは言えない。続いて長編ストーリーが語られることになる「ゆゆゆい」だが、これはバッドエンド、というか悲しい終わり方がすでに確定している。例え造反神を倒しても、その先に待つのは絆を深め合った勇者たちの永遠の別れである。元の時代に帰っていく銀を中学生園子・東郷が見送るシーンなどあったら100%泣く。「くめゆ」?逆にハッピーエンドになるかもしれない(白目)。

つまり今「のわゆ」や「わすゆ」アニメを楽しんでいる(そして苦しんでいる)人というのは、「ゆゆゆ」の特徴であったハッピーエンドとは違う何かに魅力を見出しているわけである。その魅力の一つが「終わる前の日常」ではないか。

 

 

前述の通り私は「わすゆ」の文体が受け付けられないが、「のわゆ」は大好きだ。上巻は簡単に手に入ったものの下巻は入手困難で、やっとのことで手に入れた下巻を私は舐めつくすように読んだ。そして何が起こったか。

上巻が輝き出したのである。

下巻は悲惨な「死」によって幕を開ける。失われた日常は取り戻されることなく、次々とキャラが退場していき、後世に勇気のバトンを託して終わる。装丁の雰囲気通りのブラックな内容だ。ゆゆゆ6話以降の勇者部のように、何かを失いながらも日常を楽しもうとしたりはしない。彼女たちのメンタルは神世紀組ほどインフレしていない上に切り札による穢れの蓄積もあるから当然ではある。

というわけで下巻によって「のわゆ」の日常は終わる。完膚無きままに終わる。残されたものは若葉とひなたのいちゃラブ生活のみだ。少なくとも、「のわゆ」の勇者「たち」による日常は終わる。それにより、もう二度と戻ってこない上巻の平和な(?)日常が、一気に尊いものに見えてくるのである。まあもともと尊いのだが。

「わすゆ」3話放送時、私は大爆笑しながら観ていたが、他の人の感想を見てみると「ギャグ回ではあったけどこの先に起こることを考えると辛い」というのが少なくなく、首を傾げた。辛い?あのスーパー岸誠二ギャグワールド、特に国防体操に対し「辛い」という感想が出てくるのを不思議に思った。だが今なら分かる。辛い。とてもつらい。3話を軽々しくギャグとして消費することに対して抵抗感が生まれたのだ。あの素晴らしすぎる4話によって。

終わりによって日常の価値が上がるという現象は、考えてみれば当たり前のことかもしれない。「けいおん」の神格化には最終話で提示された日常の終わりも一枚噛んでいるように思えるし、「ファフナー」の日常に対する視聴者の反応は「ゆゆゆ」のそれとニアリーイコールだ。ただ、その日常をどこまでも丹念に描き切った作品は他になく、それが「ゆゆゆ」が「新日常系」というカテゴリを与えられるに至った理由なのだろう。

 

さて、これまで散々「終わる日常」について語ったわけだが、関連作品について語れば語るほど、例外的に日常が再開する「ゆゆゆ」の異質さが浮き彫りになる。ここからも結城友奈という存在が、ただ自らを犠牲にして戦い、未来へ希望を託すだけの存在でないことが示されたように思う。西暦から続く戦いの歴史は結城友奈という勇者によって終わり、人類はようやく真の平穏を取り戻すのか。それとも勇者部の日常もまた終焉を迎え、「明日の勇者へ」と勇気のバトンが引き継がれるのか。勇者の章を楽しみにしている。